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田中由郎(ロッテ、大洋)三菱重工三原硬式野球部|選手紹介

田中由郎(たなかよしお)は三菱重工三原硬式野球部からプロ野球選手となりました。

同じ三菱重工三原硬式野球部からから簑田浩二と同じ年にプロ野球選手になったわけですが、簑田は阪急にドラフト2位で入団したのに対し、田中由郎はロッテにドラフト1位で指名されてのプロスタートとなったのです。

○田中由郎は山内新一に次ぐピッチャーでのプロ入団

三菱重工三原硬式野球部から初めてプロ野球選手が誕生したのは1967年。それから8年もの間三菱重工三原硬式野球部からはプロ野球選手が輩出されませんでした。

しかし8年ぶりのプロ野球選手は二人同時という嬉しい知らせでした。

一人は田中由郎(これで「よしろう」ではなく「よしお」と読みます。そして田中義雄元阪神監督とは違いますのでごっちゃにならないでください)。

そしてもう一人は簑田浩二。プロ野球選手の実績という面で言ったら簑田浩二の方が田中由郎圧倒的にすごく、簑田浩二を知らないプロ野球ファンは当時少なかったでしょうが、プロ野球選手としての田中由郎を知っている人はあまりいなかったのではないでしょうか。

それでも入団当時はピッチャーということも要因かもしれませんが、簑田浩二のドラフト2位指名(阪急ブレーブス)に対し、田中由郎のドラフト1位(ロッテオリオンズ)と期待値は田中由郎が勝っていました!

○田中の高校時代の実績は大したことない?

三菱重工三原野球部に入る選手は、高校時代に大した成績を収めていない選手が結構多いです。また傾向として、中国地方の選手が多いです。

田中由郎は鳥取県出身だったのですが、鳥取大会で準々決勝で負けています。

「準々決勝ならそこそこいいところまで行ったんじゃないの?」

と思うかもしれませんが、神奈川や大阪の準々決勝とはわけが違いますよ!学校数が少ないから2回戦とか3回戦とかの話です。

それでも社会人野球でもまれ2年後にはドラフト1位でロッテオリオンズに入団したのです。

○めちゃくちゃ期待されて入団したものの…

田中由郎は選手としての実績はイマイチでしたが、一番インパクトを与えることができたのはこのドラフト会議だと思います。

元々ロッテは田中を一位指名する気は無かったようです。違う選手をドラフト1位候補にしていたのですが、急遽当時スカウト部長だった濃人渉(のうにんわたる)が田中由郎の1位指名を譲らなかったといわれています。その際田中由郎が活躍しなかったら責任を取るといったようですが、本当に活躍しなくて責任を取った(職を辞任した)というエピソードがあります。

田中由郎はアンダースローだったためそこにひかれたのが一番の理由だと考えられますが、濃人渉自身、広島県出身で三菱重工三原硬式野球部も広島のため、そう言った個人的な期待もあったのかもしれません。いずれにせよ田中由郎がプロ野球選手として最も注目を浴びたのは間違いなくこの時でしょう。

 

○ロッテから大洋へ

田中由郎はロッテ時代は特にこれといった成績を残せず大洋へトレードする形となりました。大洋では規定投球回数に到達したものの1979年には与四球が最も多い投手になってしまいました。逆を言えばこれくらいしか際立った記録がないため、不幸中の幸いというべきかもしれませんね。