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三菱重工三原硬式野球部の歴史~創設から解散まで

「三菱重工三原硬式野球部」をご存知ですか?惜しまれつつも2014年に解散となりましたが、社会人野球の中堅チームとして広く知られ、巨人の蓑田、ヤクルトの角盈男、野村貴仁らプロ選手を多数輩出した優秀なチームでもありました。そんな「三菱重工三原硬式野球部」の歴史と、プロ野球選手になった代表的な選手を紹介します。

○三菱重工三原硬式野球部の功績について

三菱重工三原硬式野球部は広島県三原市に本拠地を置き、簑田浩二や角盈男(みつお)投手などのプロ野球選手を多数輩出しました。

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そのため三菱重工三原硬式野球部は、さぞ超強豪チームと思われがちですが、実はそこまで輝かしい成績を放っていたというわけではありません。

都市対抗野球大会の出場は5回で最高成績はベスト8、日本選手権は1982年に一度出場して初戦敗退とタイトルを取ったことはありません。

チームも中日本重工業三原、新三菱重工三原、三菱三原硬式野球クラブに改称されたり、クラブチームになったりと決して順風満帆なチーム状況と言える状況ではありませんでした。

そして2014年2月13日都市対抗野球の予選でJR西日本を敗れたのを最後に、部員数の減少により三ヶ月後に三菱重工三原硬式野球部を解散すると発表しました。残念とは言え、企業チームと言うのは母体である会社が全てなのでしょうがないといえばしょうがない結果と言えるでしょう。

 

Youtubeなどで検索しても映像などもあまり残っていないようですが、いくつか残っているものの中から、当時のユニフォームのデザインなどを知ることができます。

○ちょっと面白い三菱重工三原硬式野球部のデータ

三菱重工三原硬式野球部は簑田浩二、角盈男をはじめとして八人のプロ野球選手を輩出してきました。

そして広島のチームということで、JABA広島大会でファームと対戦するなど、他チームより広島の東洋カープとの交流が多くありました。そのため広島東洋カープの首脳陣の目にさらされることが多いのにもかかわらず、なんと広島のチームにドラフトがかかった選手が一人もいなかったというのですから驚きです。

もっと地元のプロ野球チームが、地元の社会人野球のスカウティングを強化していたら、三菱重工三原硬式野球部からプロ野球選手を二桁は輩出していたことでしょう。

そしてプロで大活躍した簑田浩二、角盈男、野村貴仁らはいずれもドラフトが1位指名ではありません。そのことからドラフト時には今ひとつ輝き切れていなかったものがちょっとしたきっかけで大器に成長することがあるのでしょう。

三菱重工三原硬式野球部だけでなく社会人リーグと言うものがダイヤの原石がゴロゴロしている場所なのかもしれませんね。

○「三菱重工広島硬式野球部」とは違う

三菱重工は同じ広島に「三菱重工広島硬式野球部」を持っていました。「三菱重工三原硬式野球部」と「三菱重工広島硬式野球部」二つのチームを広島の方も強豪で切磋琢磨していたと言えば聞こえはいいですが、二つのチームを合併させてもっと上を目指すという選択肢もあったのではないかと思います。

しかしなぜか統合するということはせず、別チームで練習や公式試合を行っています。

さらに、

「じゃあ広島に二つの野球部があったということから、母体である三菱重工は広島の会社なの?」

と思ってしまいますが、それもまた違うのです。

なぜ広島に2チームの野球部を設けていたのかは謎ですが、何か狙いがあったのは明白でしょう。(単に同じ地域に野球部を設けることによって競い合って強くするという考えだけではなさそう。)

とにかく謎が多い広島に2チームという状態なので、「三菱重工三原硬式野球部」と「三菱重工広島硬式野球部」が同一チームだと混同しないようにして下さい。