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三菱重工野球部、現在活動中のチームについて~広島、名古屋、長崎、神戸

三菱重工三原硬式野球部は解散してしまいましたが、三菱重工の野球部はその他に、名古屋、神戸、広島、長崎と存在しています。ここでは簡単に各野球部をプロ野球選手の情報を中心に紹介していきたいと思います。

○三菱重工野球部名古屋

大きな実績としてあげられるのが1961年都市対抗野球で準優勝、2007年、日本選手権で同じく準優勝です。都市対抗野球には23回出場、日本選手権には7回出場しています。

名古屋出身の主なプロ野球選手は北村照文、高木勇人ではないでしょうか。

高木は最近の選手なのでご存知のファンも多いと思います。巨人で活躍している高木も三菱重工野球部出身者です。ドラフト3位での入団など簡単にプロに入れたわけではありませんが、そういった経験が今に生きているとなると三菱重工時代は無駄ではなかったと思います。

北村についてはセンターゴロを記録させたことがあるなど、守備に定評があり、ダイヤモンドグラブ賞を2度受賞しています。また阪神在籍時に北村にもちろん応援歌があったのですが、強肩で守備がうまいセンターということで、その応援歌が新庄剛志に受け継がれました。走りにも定評があり、まさに日本人が好きなタイプのプロ野球選手像を体現した選手だっと言えるでしょう。余談ですが北村は78年の都市対抗野球1回戦で史上初のサイクル安打を達成しています。

○三菱重工野球部神戸

神戸の野球部も名古屋の野球部も同様、都市対抗野球、日本選手権ともに準優勝が最高成績です。ちなみに都市対抗野球は1970年、日本選手権は97年です。出場回数はそれぞれ31回と21回。常連ではありますが優勝まではたどり着けていません。

神戸野球部が輩出したプロ野球選手で外せないのは、五十嵐英樹でしょう。

デビュー戦で押し出しを出して負け投手となるという最悪のデビューを果たします(しかもサヨナラ負け)。

その後先発やリリーフを経験し、一番の見せ場は1998年。みなさん当時横浜が優勝した時のことを知っていますか?前年7年ぶりAクラスとなり、

「マシンガン打線」

なんていう言葉ができました。その際の抑え投手である佐々木主浩はプロ野球ファンなら誰でも知っているでしょう。じゃあその前のセットアッパーは?これを知っている人は結構コアなファンだと思いますが、それが、五十嵐英樹です。今でも横浜のスコアラーとして野球に携わっています。

○三菱重工野球部広島

三菱重工広島野球部は1979年に都市対抗野球で悲願の初優勝を果たしました。

その他に日本選手権では1974年、2013年にはそれぞれベスト4を記録しています。

同じ広島に三原野球部がありましたが、解散したため広島の期待を一手に引き受けています。

三原と違いプロに入ったのは3選手のみ。その中でも最も注目される選手が磯部公一選手でしょう。

磯部はもともと捕手だったのですが、盗塁をさせないことにより外野手にコンバートさせられました。

しかしこれが大当たり!2001年には中村紀洋、タフィー・ローズとともに最強クリーンナップを結成。打率.320、本塁打17打点95と最強の5番打者として恐れられ、パリーグ優勝に大きく貢献しました。

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その後はそこまで奮った成績を残しませんでしたが、楽天の初代選手会長及び主将となる。そこで再び息を吹き返し、オールスターではファン投票で出場するに至りました。

○三菱重工野球部長崎

三菱重工業が保有する5つの野球部の中で(三原野球部が解散したため現在は4つですが)一番の古株が長崎野球部です。1917年に創部され長い歴史を持っています。

しかし都市対抗野球では1991年と1999年の準優勝が最高成績で優勝はできていません。一方日本選手権は2001年に優勝しています。

一風強そうに見える成績ですが、この地区はJR九州が強く都市対抗野球に初出場を果たしたのは1975年と出場するのにかなり時間がかかりました。

長崎野球部のスターといえば杉内俊哉でしょう。杉内はいわゆる松坂世代で1回戦ではノーヒットノーランを達成するも2回戦では横浜高校に惜敗。大会後には高校日本代表になり、松坂、新垣、村田などと言った錚々たるメンバーの中アジア選手権で優勝します。

高校卒業後は三菱重工業長崎野球部に入り、シドニーオリンピックの日本代表に選ばれました。

2001年には日本選手権で優勝。ドラフト3位でダイエーホークスに入団しました。

杉内と聞いて真っ先に浮かぶのは、ロッテにボコボコにされ2回7失点を食らった際ベンチを殴り骨折したエピソードでしょう。しかしその熱さが翌年沢村賞を獲得する原動力となったのでしょう。