坊西

坊西浩嗣(ダイエー)三菱重工三原硬式野球部|選手紹介

坊西浩嗣は岡山南高校で4番、キャッチャーとして活躍、選抜高校野球ではベスト4にチームを導くなど将来を有望された選手でした。岡山南高校は県立高校ながら、岡山県では強豪校で、元南海の高畠、元巨人の川相などプロ野球選手を10人も輩出したチームです。

坊西浩嗣は184センチ、85キロという恵まれた体格も持っていました。しかしいきなりプロに行けたというわけではなく、高校卒業後は三菱重工三原に所属することとなります。

坊西浩嗣の同期には野村貴仁がいて1988年に都市対抗野球に出場しました。

1990年にプロに入るものの、ドラフト外という形でダイエーホークスになんとか引っかかったという形で入団しました。

○ダイエーホークスに入団したものの

しかもそこでいたのは吉永幸一郎、城島健司と言った日本を代表する捕手たち。ブルペンが坊西浩嗣の主戦場となってしまいました。

坊西浩嗣のプロ初出場は1991年に代走としての登場でした。先発出場はその約三ヶ月後でしたが、その試合では一本もヒットを打てず、チャンスを逃したかと思われました。しかし次の日もチャンスが巡ってきて、工藤公康投手からヒットを打っています。

坊西浩嗣がホームランを打つのはさらに6年後。デニー友利からホームランを放っています。初本塁打までの日数を考えると打撃がダメかと思いきや、実は打撃には定評があり、1999年、2000年には左の代打の切り札というポジションを得てリーグ制覇に貢献しました。

坊西

特に2000年のシーズン終盤には代打成功率4割という驚異的な数字を残し存在感を示しました。

また2000年は守備でも城島健司が怪我をした期間代役を見事に果たしました。

2002年の9月に出場したのを最後に、2003年に現役を退きました。

坊西浩嗣の最終的なキャリアは558打数、104安打、.208、3本塁打、51打点でした。

○引退した後も野球に携わる

坊西浩嗣は引退後も四国アイランドリーグのコーチをやるなど堅実に野球に携わっているようです。

2005年に高知ファイティングドックスのコーチを務め、また選手としてはプロ野球選手OBがプロ野球のシーズンオフ中に行うプロ野球マスターズリーグでは福岡ドンタクズの選手として活躍(マスターリーグは札幌、東京、名古屋、大阪、福岡の5チームから構成されます)。2004ー2005年のシーズンで坊西浩嗣は首位打者に輝いています。※ちなみに現在はこのリーグは休止中です。

2008年からは社会人野球クラブである鳥取キタロウズのコーチ兼選手として登録していました。2010年からはスポーツ塾の野球コーチとして小・中学性の育成をしています。

坊西浩嗣は他にもラジオのコメンテーターをしたり、野球解説者を務めるなど野球に携わっており、はたから見たら野球バカなんじゃないかと思うほど、見ていて気持ちのいい野球好きっぷりを発揮してくれています!